皇居の敷地内に「三代将軍の松」と呼ばれる500年物の盆栽がある。人間が植えて世話をしてきた世界最古の盆栽である。より正確に言えば、手入れをしてきたのは何十人という盆栽職人であり、そのなかには将軍も含まれている。盆栽は工芸作品であり、芸術作品だが、ひとりの人間が創り上げるものはない。職人たちが何世紀にもわたって力を合わせ、針金や剪定ばさみなどのシンプルな道具を駆使して五葉松を縛り、刈りこみ、手入れをしながら大自然の風景を鉢のなかに再現していく。 »STORY
「盆栽がやがて私の仕事になり人生になることに、中学生のころに気がついて、大きなプレッシャーを感じていました」。山田香織は高名な盆栽園のひとつである清香園の跡取り娘だ。ひとり娘の山田は幼いころから、150年の歴史を誇る清香園の5代目となり、盆栽名人にならねばならないという運命の重みをひしひしと感じていたという。 »STORY
1923年に関東大震災が東京を襲い、山の手に点在していた盆栽園のうち少数の業者が、東京の北にある大宮に集団で移住した。大宮にはきれいな水と空気、そして小さな木が育つのに最高の土があった。いまや盆栽園は10園ほどに減ってしまったが、大宮の盆栽村は現在も世界の盆栽栽培の中心である。 »STORY
最近つくられた備前焼の鉢と数百年前につくられたものをくらべると、同じように見える。どちらも釉薬を使っておらず、表面がザラザラで、厚みがある。土の純度が »STORY
屋根から伸びた赤煉瓦の煙突や、窯にくべる薪の山、耐火煉瓦工場の跡地を通り過ぎながら、伊部の町を歩く。藤原陶臣の家に着いたのは午後遅くのことだった »STORY
岡山の伊部に広がる田んぼの下には、粘土層が走っている。かつて備前国と呼ばれていたこの地方の陶工たちは、千年以上にわたって鉄分の多いこの土を掘り起こし »STORY
PAPERSKY BOOKSが贈る、「海の京都」を目指して自転車で走る旅人のためのガイド本。京都駅から北西へ、山々を越えて、日本三景・天橋立が見える日本海まで、約168kmの道のりを自転車で3日かけて走ります »STORY
PAPERSKY BOOKSが贈る、「木曽路」を歩く旅人のためのガイド本(2部構成)。パート1では、岐阜・中津川にある落合宿から、長野・木曽福島の福島宿まで、55.9kmの道のりを3日かけて歩きます »STORY
東京では昔、河川が毎年のように氾濫し、そのたびに下町が泥の海と化した。これは草、野草、多肉植物、樹木などの植物の生育にとってすばらしい環境となった »STORY
1945年3月の東京大空襲は、一面を焼野原に変えた。残ったのは車や遺体の残骸と、黒焦げになった柱や梁だけだった。B-29爆撃機の編隊が積んできた焼夷弾を落とし »STORY
伝統はこだまのようなもの。世代が変わるたびに聞こえかたが違ってくる。伝統とは、年長者から若者へと受け継がれる知識のパターンである。こうしたこだまが »STORY
遠州屋の店先には品物がちらほらとしか見当たらない。取材に訪れたのが夏ではなかったからだろうか。ガラスの引き戸越しに店内をのぞくと、木製のテーブルの上に »STORY
静かに差しこむ自然光が一枚の紙をとおして、やわらかな光となって満ちている。世代を超えて受け継がれてきた技で、紙漉き職人はそれぞれの人生をかけ »STORY
焼津の商店街には、ほとんど人影がない。買い物をしている年配の女性が2~3人いるくらいだ。長年、焼津で暮らす人々の話を聞けば、この商店街に »STORY
人間は道具がなくても多くのことができるが、道具があれば神のようになれる。手漉き和紙を魔法のようにつくりだす技を支えるのは、桁と簀 »STORY
神崎町では、家々が畑の海に浮かぶ島のようにぽつりぽつりと点在している。そんな郊外にあるような、大型スーパーに行ったとしよう »STORY
「我が家はここで20代ほど続く農家です。私も18歳のころから農業を始めました」と鈴木一司は言い、私たちを裏の事務所に案内してくれた。そして、 »STORY
千葉県北部に広がる農業地帯に、神崎という町がある。昔からお酒やお味噌、醤油などの発酵文化の盛んだった神崎は、平成の市町村合併の波に乗らず »STORY
漁には神秘的な側面もある。焼津の漁師たちのあいだには多くの迷信があり、えさの選択から「船玉」(御神体として船内の神棚に祀るもので、起源は漁師の民間信仰であったといわれる »STORY
「私は木村庄之助と申します。本名は畠山三郎ですが…」取り組み中に土俵への立ち入りが許されている唯一の人間として、取組を仕切り、勝敗を判定し、勝ち名乗りを上げる。木村の仕事は行司 »STORY
蒸し暑さを感じる、東京の昼下がり。床安こと、西村安士が働く相撲部屋、出羽海部屋を訪ねた。西村は私たちを先導して階段をのぼり、事務室、土俵、共同の炊事場、トイレの前を通って最上階の大部屋に »STORY
「私が初めて竹に触れたのは、竹林から自分のおもちゃを切りだしたときでした」と大橋重臣は言う。今年で39歳になる大橋は、別府を代表する若手の竹工芸職 »STORY
ねぶたの初日である8月2日の夕暮れどき。先頭のねぶたが来る前に、耳に飛びこんでくるのは囃子の音色だ。ねぶたの前方には、鮮やかな衣装と花傘を身にまとった跳人が、太鼓、笛、鐘の音に »STORY
青森は夏の盛りを迎えた。最後の残雪が融けさり、高らかなかけ声や太鼓の響き、笛の音色、鐘を打ち鳴らす音があたりに広がる。ねぶた祭りの季節だ。8月2日から7日までは毎晩、すべての大通り »STORY
北村隆は青森市郊外にある自宅の一室を作業場にしている。だが、その庭はふつうとはほど遠い。途中まで仕上がった針金の枠組みがいくつも積みあがっている。目を凝らせば、ここに手があって »STORY
「ここで働く人たちはみんな高齢者。全員が地元の出身です」。永井貴美代はそう語るが、これは彼女自身にも当てはまる。彼女は84歳で、昭和4年に別府に生まれた »STORY
大分全域に分布する竹林は、日本全国の竹林の約6割を占める。そこから切りだした背の高いマダケが別府竹細工の材料である。何百年も前からこの竹を使 »STORY
あらゆる伝統がかたちを変えている。だが、日本のすべての伝統工芸のなかで、漆器ほど著しい変化を見せているものはない。輪島では、ひとつの椀や盃ができるまでに数名の職人の手と、さまざまな技法や工程が必要である。 »STORY
暮れゆく日のなかで黒く濃い輝きを放つ。雨畑原石でつくられた硯に少しだけ入っている墨。望月苔雲が竹炭と溶かした魚の骨を混ぜ、乾燥させて固めた特別な墨である。床の上に広げた長い紙の上を筆が走り、言葉、詩、格言などが太い線で現れる。「大好きな言葉がたくさんあります」と望月が笑う。自の前の紙の山を探し、ようやくお目当てのA3サイズほどの大きさの紙を見つけた。 »STORY
硯は日本の書の歴史に欠かせないものである。また、日本の精神的歴史を体現する瞑想の道具でもある。「純粋で、真実に近いものを書きたいなら、心がきれいでなければなりません。硯でおもしろいのは、自分を見つめ直す道具になるところです。彫刻作品と呼んでもいいと思います」。ござの上にあぐらをかいているのは雨宮嫡太郎。雨端硯本舗の13代目職人である彼は、 »STORY
雨畑は山間の小さな村だ。いたるところに野生の猿が生息している。この地は、光沢があり、硬く、水持ちのよい粘板岩の産地として知られている。この岩の歴史は古く、約700年前にこの村の洞窟から初めて切りだされて以来、日本屈指の品質を誇る硯の材料として使われてきた。 »STORY
琵琶湖南岸を中心に8ヶ所の風景を選定した"近江八景"。名勝として古くから親しまれ、その発祥は室町時代にまで遡る。江戸後期、歌川広重によって描かれた浮世絵によって »STORY
ヨーロッパを旅していると、歴史的な建造物が今なお現役で利用されていて驚くことがある。教会や大聖堂はもちろん、劇場、学校、パブなど、数百年前を経た建物がそのままに、当たり前のように使われている。そうした建物は町の人々の誇りであり、使い続けることでまた、過去から現在、未来へと人々の暮らしを繋げていく役割をも担っている。 »STORY